春の妖精
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落葉広葉樹林では,夏には濃く繁っていた樹木も冬になる頃にはすっかり葉を落として身軽になる。
そして厳しい冬も過ぎ,寒さが和らぎ始める。
まだ若葉も出ていない早春から春にかけて,陽射しがよく通り森や林の中は驚くほど明るい。
雪融けとも重なるこの時期,落葉に覆われた林床では,春を告げる植物たちが暖かい陽光を感じながら落葉の下で静かに美しい花を咲かせる準備をしている。
雪がすっかり消えたころ樹林下では,つかの間の春を謳歌するがごとく,花を咲かせるだけの力を蓄えた植物たちはいっせいに蕾を出すと瞬く間に可憐な花を咲かせる。
そして,林床は華やかな森の楽園になる。
しかし,儚くも,その花もすぐに終わり葉だけの姿になる。
急いで光合成を行うと,その葉も夏が本格的になる頃には枯れ,この早春植物たちは地上からその痕跡を消すことになる。
そして,次の年の春先まで一年の大半を,地下茎や球根だけの姿で地中で過ごす。
こういうライフ・サイクルを持つ林床性多年生植物を総称的に,「スプリング・エフェメラル(spring ephemeral)」と呼ぶ。
“ephemeral”は emotional words(情緒的な語) の1つで,「はかない,短命の,つかの間の」を意味する形容詞だ。
英語では,単に「短命さ」や「儚(はかな)さ」に言及する際は,この語ではなくもっと客観的・非情緒的な形容詞(momentary, short-lived, etc)を使う。
一方,ephemeralという形容詞は,人生や生命あるものの存在の短さを肯定的に受けとめるニュアンスを持つ芸術的あるいは文学的な言い回しだ。
日本人が桜の花に対して抱く「儚さ」と相通じるものがあるだろう。
つまり,「短命の美」を示唆する言葉なのだ。
「スプリング・エフェメラル」は,直訳的に言い表すと「春の儚いものたち」だ。
日本語では時に,「春植物」と訳されるようだが,何の面白味も無い即物的なこの表現は浸透しているとは言い難い。(「早春植物」とも訳されるようだが,こちらの方がまだ少しは趣があるように思える。)
むしろ,「春の妖精」の方がはるかに一般的であり,多くの人が好んで使っていると言える。
この言葉は実に情緒的であり,日本人の感性に訴える趣が十分にあると思うのは私だけではないだろう。
この表現は意訳ではあるが,スプリング・エフェメラルの魅力を端的に表している、と思う。
一度スプリング・エフェメラルに魅せられた者は,その観察者であることを生涯止めることはないだろう。
【参 考】
主なスプリング・エフェメラルの紹介
厳密な意味で「スプリング・エフェメラル」として分類される花には下記のようなものがある。
◎キンポウゲ科
- セツブンソウ
- フクジュソウ
- ユキワリイチゲ・キクザキイチゲ・アズマイチゲ
- イチリンソウ・ニリンソウ・サンリンソウ
- サバノオ・トウゴクサバノオ・サイゴクサバノオ
◎ユリ科
- カタクリ
- アワコバイモ・トサコバイモ・コシノコバイモ・ミノコバイモ・カイコバイモ・ホソバノコバイモ・イズモコバイモ
- アマナ・ヒロハノアマナ・ホソバノアマナ・キバナノアマナ
- ヒメニラ
◎ケシ科
- ヤマエンゴサク・ジロボウエンゴサク・ミチノクエンゴサク・エゾエンゴサク
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